逗子でのあすなろう物語・・・これからセカンドライフを目指して

これからセミリタイアを目指し、生き方を模索する日常をぼやく、つまらないブログです

故郷は遠きにありて思うもの。そして雪待ち南天。

ひと月に1度は実家に帰っている。

自分自身に向けての言い訳など何の意味もないのだが、表向きの理由としては、母親の様子見である。父親と2人きりで生活しており、寂しいだろう、と思って、近頃は1月に1度帰るようにしているのだが、特に10年前に心不全になって体調を明らかに崩してしまった母親は、私が覚えているしっかりした母ではない。最近では耳鳴りもひどいらしく、生きがいを失ったようなことを言う時がある。そんな母だが、私が帰って家にいるだけでも気持ちが違うらしく、何かをしようと体を動かそうとする。何かをやろうとして頭を使おうとするので、正直、そんな姿を見ると私自身もほっとするのである。

そんな自分を親孝行だと褒めたたえる気はない。何故なら、私の裏の目的があり、それはやはり自分自身も心を癒すためなのである。高校まで過ごした自分の家。故郷と言われる風景。戻るだけで疲れている心が元に戻る。だから、自分のために理由をつけて家に帰っているのが、正直なところの本音だ。

何度か故郷で転職を考えたことがあった。しかし、うまくいかなかった。色んな意味でうまくいかなかったのだが、今振り返ると当然だったと思う。私は高校の段階で故郷で生活することを捨てたのだ。そして、故郷も私を受け入れなかったのだ。だから、戻ろうとしてもお互いに受け入れないのだ。たまに帰って感傷に浸るだけ。それ以上のものが生まれない関係。それが私と故郷の関係。少し前までは同級生としゃべることもあったのだが、根本的な価値観の違いが大きく、もはやその隔絶を胡麻化すことが出来なくなった。

f:id:Skaiy:20190303235755j:plain

今回は朝早い電車に乗り午前中に故郷に着いた。

冷たい空気だが、空が明るい。春を感じる爽やかな朝だった。

そして駅から歩いて繁華街のそばを通り、いつも初詣に行く神社でお参りをする。おみくじを信じているわけではないのだが、懲りずにまたもや引いてみる。出てきた結果は雪待ち南天。凶が過ぎ吉となる、という、先日引いた凶後吉と同じ結果ではないか。

そして、とある施設の中に入り、水が張ってある池のような場所で座り込む。

静寂と青空。

まだ冬から抜けきっていない大きな木。

私の人生はどん底から抜け出そうとしている。

そして、もう一度木の枝に花をつけ、葉を茂らすことを夢見る。

今は赤い実をつけたまま雪解けをただ待つのみ。

無職の気分を味わう。そして僕は途方に暮れる。

出張に出たのだが、大都市近郊とは思えない、長閑な場所だった。

地下鉄、私鉄と乗り継いで40分ほどの場所。無人駅を降りて住宅地を歩き、そして畑が広がる川沿いを歩く。まだ芽吹いてもいない桜の木々が続く中、青空を楽しんだ。

数年前にもこの道は来たことがある。とある会社の工場があるのだが、確かにその時もこの道を歩いた。社会人になってから、駅から歩いて20分という距離は殆ど歩かなくなった。しかも営業職といわれるようになると、車で移動することが多くなるため、20分歩いてきました、などというと、変わり者扱いされることが多い。

しかし、私は歩く。車の運転が極端に下手で嫌い、というのも大きな理由の一つなのだが、景色の移り変わりを見ながら歩くというのが何よりいい気分転換になる。

病気をしてから食事制限があるため、昼飯は出来るだけ弁当を作っているのだが、出張の時も可能であれば弁当を作って持って行っている。

さて昼食の時間だが、どこで食べようか。河原に降りて青空の下で川の流れの音を聞きながら弁当を広げた。

f:id:Skaiy:20190227235847j:plain

極端に肉類のない貧乏飯なのだが、青空のおかげで贅沢を味わっている。

弁当を食べた後、時間も持て余しているので、日光にあたりながら目を閉じてみた。

川の流れしか聞こえてこない。時折鯉が跳ねる。その音が静寂を軽く打ち破る。そしてそのまま意識が遠のく。

いい日だ。とてもいい日だ。昨日会社で罵声を浴びせられ、どうせあと数か月で消え去る身だから、という気持ちだけでやり過ごしたが、不愉快であるのは間違いない。しかし、そんな気分を癒してくれる心地よい時間を与えてくれるとは、天に感謝したい。

30分ほど目を閉じていただろうか。気づけばそろそろ仕事に向かわなくてはいけない時間になっていた。

そしてふと気づく。黒いコートを着たサラリーマン風の人間が一人で河原でたたずんでいる姿は、どう考えてもリストラされて職を失い、途方に暮れている人のように見える。

まあ、今そんな気分だな。会社早く辞めようと思ってるし。

当然、昼からの仕事は気持ち入りませんでした。

青空に映える梅と凶後吉

久しぶりに人と時間を過ごした。

最初に入った会社の同期なのだが、出身地が近いというだけの理由でずっと関係が続いている。お互い余りしゃべらなくても時間が過ごせるということもあり、会っていて疲れない。

そんな奴と昼に待ち合わせをし、食事を共にした。

食事中、お互いの近況や自分が転職を決めてしまったいることなど淡々と喋って、それから寺、神社を散策した。

私は寺巡りが好きだ。そして仏像鑑賞が好きだ。最近そんなことを全くしていなかったのだが、今日はっきり思い出した。心が明らかに癒された。

何故こんなことを忘れていたのだろう。仕事でくたびれ、会社で擦り切れ、気持ちの余裕をなくしていた。長い間気持ちの張りを失っていた。

静かな寺の境内を歩き、自然を味わう。

晴れ渡った早春の梅を思い切り見上げていた。

f:id:Skaiy:20190223224238j:plain

近くに神社があったので、立ち寄りお参りをする。

これまでの生き方、心構え、考え方を悔い、強く反省をし、どん底の自分を救ってほしいという心の叫びを唱えながら手を合わせていたら、隣にいた奴が不思議そうにお参りが終わるのを待っていた。

そういえば初詣のおみくじ結果は末吉とかつまらない結果しか出てなかったことを思い出し、もう一度自分の運勢を占ってみたくなった。

御神籤箱から出てきた番号は七、渡されたおみくじには、凶後吉、と記載。

人生で初めて見る結果に戸惑う私。そして隣にいる奴もなにそれ顔。

凶、という文字から絶対悪い占いだと二人とも思い込み、私はやっぱりまだ人生グタグタから抜け出せていないんだと内心がっかりしてしまった。

その後、喫茶店に入り珈琲を飲んでいるときにやっぱりあの占いの結果は何だったのかしっかり知りたくなり、検索してみたところ、意外なことが判明する。

この、凶後吉、大吉の次にいい意味だったのである。

「現在は違うがいずれは吉になる」

なんと今の自分に相応しい、勇気の出るおみくじの結果。

確かにそうだ。私はここ最近ずっとぐずぐずの状況だった。急に転落したのではないかと思えるくらい酷いものだった。その状況から転ずるのだ。

未来は明るい。明日が待ち遠しい。

本気でそう思うことが出来そうだ。

いま改めて今日撮った写真をもう一度眺めてみた。

紅白の梅の競演。

気が付かないうちに自分で祝賀を揚げていたようである。

f:id:Skaiy:20190223230338j:plain

 

三浦半島 河津桜と菜の花の散歩

私が逗子に住むようになってからずっと訪問している場所の一つに、「三浦海岸桜まつり」がある。2月半ばから3月上旬までの間、京急三崎口駅から三浦海岸駅までの間に咲く河津桜が満開となり、その沿線に菜の花が植えられている。その区間をただのんびり歩くだけの祭りなのだが、私はこの祭りが非常に好きだ。約1000本もの河津桜が沿線に並び、肌寒い青空に濃いめの桃色の花びらが美しく凛と咲き、その木々の間を黄緑のメジロが飛び回る。この祭りを歩かないと春が来た気にならないのである。

f:id:Skaiy:20190220223108j:plain

1か月に1度自分の部屋に訪れて、短い期間だけ逗子ライフを味わっているのだが、先日逗子周りでどこに行こうかと悩んだ時に、ふと河津桜のことを思い出した。そういえばもうそろそろ河津桜祭りだと気づき、ふらりと京急に乗って訪れた。

今回の桜はちょっとまだ早かったのか、蕾も多く、3~5分咲きといったところか。それでも美しき桜たちの姿を眺めながらゆっくりと散歩するのはとても心地いい。

f:id:Skaiy:20190220224726j:plain

河津桜のそばには菜の花が植えられている。油菜、と言われるぐらい、この花が咲くと脂臭い。河津桜がまだ咲ききっていないときはこの黄色い花が満開である。油菜の黄色と河津桜の濃い桃色の対比。何年も見ているのだが、相変わらず気持ちが和む。

 

購入した逗子の部屋は良い。何せふと思い立ったら美しい場所に気軽に行けるのだ。私の人生にとって、逗子は私にとって落ち着く場所だ。

今の会社のために住んでいる場所も格別悪くはないのだが、会社がくそ町にある。

あんな場所に毎週通わないといけないなんて、もはや限界だ。

そしてあんなくそ会社も限界だ。

一刻も早く逗子に引きこもりたい。

あと半年間をいかに無事に過ごすか

今の会社をとにかく穏便に過ごし、半年後に無事退場することが、今最大の問題となっている。

ここ数日間、私はとんでもなく何かを喪失していた。

気が抜けていた、とか、気が緩んでいた、とか、いろいろな言葉で表現はできるのだろうが、正直なところ、そんなレベルではない状況だったと思う。

明らかに魂が抜けていた、としか言いようがない。

 

仕事でミスをしない方法、というものをいくつか検索してみた結果、今の私に大事な心構えというものを列挙してみたい。

 

1)休む

WEBで幾つかのテストをしてみたが、今の私は明らかに、高ストレス状態、うつ病傾向、であった。

この状況というのは、頭が完全に疲れ切っていることが言えるらしい。

ここからの改善策で大事なことは、体も心も休むことらしい。

頭がつかれているからミスをする、そしてとんでもない状況に転落する、そして自信を失い、追いつめられる。

これを止めるには、とにかく頭を休めるしかない。なのでとにかく休むことをもっと大事に考えたい。

 

2)無理をしない

特に仕事上で何でも引き受けないことが最も大事になるだろう。複数の仕事を引き受け、こなそうとすれば頭がつかれ、結果として失敗する確率が上がる。

そしてろくでもないことが起きる。

1日1日やることを明確にし、自分でできる範囲をきっちり限定する勇気を持つべきである。

 

3)確実に慎重に行動する、難しいことをしない

人から疑われることはしない。人からできないくせに、と言われるような無理なことはしない。とにかく、自分が不安になることを行わない。

不安なことが生じると、今の自分は心が疲れてしまう。

そして、頭がくたくたになり、失敗する。

 

4)油断しない、無駄なことを言わない

今までできていたこと、これまで大丈夫だと思っていたこと、がこれから先も大丈夫だ、という保証はない。自分の心、体の疲れからくる失敗、不運、油断、告げ口、陰口、敵、無用な一言。ほんの僅かなことから大きく壊れていく。

油断はしてはいけない。今の会社にいる人間と付き合うときは、顔で笑って心で疑う、を徹底すべきである。

 

5)そして、毎日一つ一つ無事であることを確認していく

油断がすべてを破壊する。毎日毎日、心の中で確実に過ごせていることを、何度も何度も慎重に確認する。

 

とにかく慎重に大事に行動すべきである。

そして、リスク回避を徹底的に考えるべきである。

半年、という時間は今の私には長すぎるかもしれない。

その短縮できる方法も幾度も探すべきである。

心から十分に戒め、1日も早くこの地獄から脱出する日を確実につかみたい。

 

会社を辞めなくても「セミリタイア生活」はできる?とは言うものの、やっぱり辞めたい、今の会社

会社を辞めなくても「セミリタイア生活」はできる?、というブログを発見しました。

読んで納得でした。仕事をしていて、会社と自分がある時離れてしまい、自分と会社が隔離しきった時に、セミリタイアした、と実感する。

このブログの人は徐々に、と書いてありましたが、私の場合は3年前ほどに一気に切れてしまいました。そこからの私は仕事に全く冴えがない状況で、確実に嫌々仕事をしていることは間違いありません。気持ちが入っていないからいろいろとミスもしでかします。当たり前です。自分の気持ちを胡麻化そうにも最早胡麻せないくらい酷いものです。その状況でダメ上司、ダメ経営者と戦おうと思っても、そもそも最初からあきらめているので、戦えません。さっさと辞めないと時間の無駄遣いでしかない状況です。

ならば早くセミリタイアを、と思ったわけですが、お金のこと、世間体を気にして、未だセミリタイアに踏ん切りがつけれないでいます。

全く情けない。

しかし、今回発見したブログを読んで、気持ちが整理できました。

今度、会社で何かあったら、見切りをつけよう。

いいじゃないか。

次の会社には10月で正社員で迎えてくれるわけで、それまでバイト+失業保険もありではないか。

そう思うと、気持ちに踏ん切りがつけれた。

毎週、週の初めは退社カードを切る心づもりをして、気持ちを整えよう。

そして、毎日次の仕事に向けて準備を着実にしよう。

気持ちを前向きに。心を穏やかに。

自分を大事にしていこう。

戒め

最近、仕事のことでストレスを抱えることが多くなった。仕事、というよりもどちらかといえば会社、なのだが、とにかく最近イライラすることが多く困ってしまっている。

去年まではそんなにイライラしなかったのだが、今年はとにかくイライラしがち。

何故なのか落ち着いて考えることにしたのだが、最大の原因は自分にあった。

簡潔に言うと、今年は比較的体の調子がいいからである。皮肉にも体の調子がいいから、仕事にも若干前向きになりがちなのである。そして、他人とぶつかる。また、調子がいいとはいえ実際にはまだ完全回復ではないので、体が追い付いていないことが多く、結局ミスをする。しかも以前の自分では絶対にありえないミス。例えば、客先に行っているのにカタログを1部も持って行っていない、しかも自分は持って行っていると勘違いして気が付かない、ということを先日やらかしている。

それ故、調子に乗りそうで調子に乗れずじまいが続き、ますます自信がなくなる。そして、嫌になる。

去年は明らかに体力的に辛く、何もできなかったし、何かしようという気もなかった。

それ故、何も問題を起こさなかった。

つまり、今はやらなくてもいいことをやってしまっているということだ。

改めて確認をしよう。

私はこの会社では終わった人間なのだ。この会社で何かをしようと思っても誰もついてこないのだ。だから、何も考えなくてもいいし、何もしなくてもいいし、ましてや何かしゃべる必要もない。とにかく静かにしていればいいのだ。

静かにしていれば給料が出る。

それで十分だ。

そして7月中頃に辞めることを伝え、9月でおさらばだ。

それまでにすべて準備を整えよう。

そうだ、今から考えるべきことは、次のことだ。

次の夢を大事にしていこう。

それまで何があっても、自分を大事にしていこう。

どうせなら、左遷とかしてくれないかな。結構喜んでしまいそうだ。