逗子でのあすなろう物語・・・これからセカンドライフを目指して

これからセミリタイアを目指し、生き方を模索する日常をぼやく、つまらないブログです

故郷は遠きにありて思うもの。そして雪待ち南天。

ひと月に1度は実家に帰っている。

自分自身に向けての言い訳など何の意味もないのだが、表向きの理由としては、母親の様子見である。父親と2人きりで生活しており、寂しいだろう、と思って、近頃は1月に1度帰るようにしているのだが、特に10年前に心不全になって体調を明らかに崩してしまった母親は、私が覚えているしっかりした母ではない。最近では耳鳴りもひどいらしく、生きがいを失ったようなことを言う時がある。そんな母だが、私が帰って家にいるだけでも気持ちが違うらしく、何かをしようと体を動かそうとする。何かをやろうとして頭を使おうとするので、正直、そんな姿を見ると私自身もほっとするのである。

そんな自分を親孝行だと褒めたたえる気はない。何故なら、私の裏の目的があり、それはやはり自分自身も心を癒すためなのである。高校まで過ごした自分の家。故郷と言われる風景。戻るだけで疲れている心が元に戻る。だから、自分のために理由をつけて家に帰っているのが、正直なところの本音だ。

何度か故郷で転職を考えたことがあった。しかし、うまくいかなかった。色んな意味でうまくいかなかったのだが、今振り返ると当然だったと思う。私は高校の段階で故郷で生活することを捨てたのだ。そして、故郷も私を受け入れなかったのだ。だから、戻ろうとしてもお互いに受け入れないのだ。たまに帰って感傷に浸るだけ。それ以上のものが生まれない関係。それが私と故郷の関係。少し前までは同級生としゃべることもあったのだが、根本的な価値観の違いが大きく、もはやその隔絶を胡麻化すことが出来なくなった。

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今回は朝早い電車に乗り午前中に故郷に着いた。

冷たい空気だが、空が明るい。春を感じる爽やかな朝だった。

そして駅から歩いて繁華街のそばを通り、いつも初詣に行く神社でお参りをする。おみくじを信じているわけではないのだが、懲りずにまたもや引いてみる。出てきた結果は雪待ち南天。凶が過ぎ吉となる、という、先日引いた凶後吉と同じ結果ではないか。

そして、とある施設の中に入り、水が張ってある池のような場所で座り込む。

静寂と青空。

まだ冬から抜けきっていない大きな木。

私の人生はどん底から抜け出そうとしている。

そして、もう一度木の枝に花をつけ、葉を茂らすことを夢見る。

今は赤い実をつけたまま雪解けをただ待つのみ。