逗子でのあすなろう物語・・・これからセカンドライフを目指して

これからセミリタイアを目指し、生き方を模索する日常をぼやく、つまらないブログです

初詣で願った結果

正月の三が日は家でひたすら食って寝て海外ドラマを見て食って寝てを繰り返したのだが、暇をさすがに持て余したので、ぶらりと近所の八幡宮へ初詣に行くことにした。

いつもは飲み屋街に近い大きな神社に詣でていたのだが、今回はあえて寂れた住宅街の中にある神社へ。子供の頃からそこが氏神だということは知っていたのだが、初詣に訪問したことは1度しかなく、自分の意識の中でも薄れつつある神社であった。

これまでは大きな、人が多い、煌びやかな場所を選んでいたが、それは夜中を通してほっつき歩いていたから。寒い夜中に眠くなりながらふらふらしていたことでいいことはあったのかというと何もなかった。だからといって近所の氏神様だと変わるのか、と言われればよくはわからないのだが、これまで自分の祖先を含めて14代守ってきた神社を無視してきたことが愚かだったのではないかという気がしてきた。この数年の自分のがたつきを真摯に受け止める気になった。

夕刻の誰もいない神社。日が落ちるのが早い。そんな中、10円玉という銅で出来た煌めく賽銭を投げ入れ、必死に願うは自分の幸せ。

アーメン、オーメン、糸そうめん。世界平和のためにも、私に10億円ぐらい黙ってわたしてくだしゃんせ。

そんなつつましい願いを唱え、その効果を鳩の形のおみくじを引くことで早速確認してみる。

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まあ、報いでしょうね。きっちり末吉でござった。

本来なら神社の期に結び付け、そのおみくじを反故にするのだろうが、今回は内容を読んで気に入ってしまった。

恋愛、結婚、金銭運。すべていい方向に進んでいるとのお告げ。

これ末吉だろ、内容良すぎ、と思いながら、このご宣託をうれしく思いながら受け入れることにした。

自分さえ納得できればいいのだろう。それがなんという名前で呼ばれていても、自分にとってそれで幸せなのだと。

もはや日が沈んでしまった人気のない道を、ほんの僅か心明るく戻ることにした。